王家の風日・太公望

「何で別々の作品なのに、一緒に紹介してるの?」と言われるのは承知の上。
実はこの2つ、元となる物語は同じものなんですよー。
それを、全く別の視点から見、作り上げられたストーリー、それが「王家の風日」と「太公望」。

時代は、今から約3000年前、商周易姓革命の辺り。
ってわけで、想像どおり、これらも封神つながりで出会った作品です。
でも、仙人とか道士とか宝貝とかは全然出てこない、それこそ本当に「歴史小説」に当たるものですね。

「王家の風日」は、1994年に文春文庫から出版されていて、菱が持ってるのもソレですが、その前にも2ヵ所の出版社から出ているらしく…しかし、その辺の諸事情はよく分からないので…。
ともかく、今から10年以上前に書かれた作品かと思います(ちゃんと調べろー)。
視点は商(殷)サイド。でも、紂王ではありません。妲己でもありません。
箕子
(きし)…と聞いてすぐに「ああ!」と分かる人は、スゴイ。すごすぎです。
『箕子―商王朝28代王・文丁王の子のうちのひとりで、紂王にとっては叔父に当たる人物』です、ハイ。
封神(原作)でもちょろっと出てます、が、目立っているとは決して言えない役どころ。
時間的には、29代王・羨王(帝乙)の即位あたりから、最後の王・受王(帝辛、紂王)の栄華と翳り、そして周との戦い、商王朝の滅亡までが描かれています。

「太公望」は、産経新聞の連載小説で、平成8年1月から平成10年3月まで連載され、終了後、割と早くハードカバーの装丁で出版されました。
丁度その出版時期が、WJ封神人気うなぎ上りの時期でもあったため(第100回近辺)、早々にチェックは入ったんですが、何と言ってもハードカバー。どうにもこうにも手が出ず、「…大丈夫。きっと文庫になるさ…っ!」と読まないままで、文庫化をずっとずっと待ってたんです。
で、やっと今年の春! 「今月の文庫新刊リスト」にこのタイトルを発見し、「おおおっ!? ついに来たかっ」と喜んだものの、体調が思わしくなく、時間も取れず…菱は結局、6月まで購入がずれこみました。
まさか、待っているうちに、WJの封神が終わってしまうとは予想もしませんでしたが(涙)。
こちらの視点は、タイトルまんま、太公望…いや、望
(ぼう)としておきましょう。
物語全編に渡って、「望」で通っていますしね。
封神では、知っての通りの主役です。
時間は…と、紂王の人狩り(先王の墓に生き埋めにしたり、奴隷にするために羌族etcを捕らえる)から少年の望たちが逃れ、様々な人と出会い、紂王への怨みを胸に暗躍するうちに周との接点を得、最終的に商を、紂王を滅ぼす…こんなとこでしょうか。

単独で読んでも面白いんですが、片方を踏まえてもう片方を読むと、面白さは相乗効果。
「あれっ、このシーン見たことあるー」てのが、かなーり、あります。
例を挙げるとすると、紂王と望の、最初の出会いとか。
一度その場面を見て知っているからこそ得られる、「別の人物の視点だとこうなるんだー」という新鮮な感覚。
これは両方読まないと味わえない特典ですよ。

菱としては、やはり出版された順、「王家の風日」→「太公望」と読むのがオススメです。
巻数の違いもありますが、どうも逆に読むと、少なくとも羌族サイドに関しては、「王家の風日」は「太公望」のダイジェスト版のような印象が強くなるんですよね(実験済)。
「王家の風日」では最初にちょこっと出たきりで、その後、物語も2/3を過ぎた辺りでフラリと唐突に、影の実力者として再登場する望が、その間の10年程を一体どのように過ごしてきたのか、紂王を討つためにどれだけ苦労して「人脈」「人望」という実力を作り上げたのか…というのは、「太公望」の方で詳細に書かれています。

余談ですが。
「王家の風日」を購入する少し前に、何かの本で知ったのですが、「若い太公望像をフジリューより先に作った」人らしいです、宮城谷さんは。
WJ版は、若いって言ったって見かけがそうなだけで(いや中身もですけど)、実年齢は72歳↑でしょう?
こちらは、マジで若い。「太公望」は、望が15・6歳から物語始まってますもの! 周の軍師となったのだって30代だし!
根拠が全く無い作者の創作、というわけでもないようでして。

文王姫昌が占卜(せんぼく)で「師となりうる人物を得る」という予言を受け、それに従って、鉤も餌もない針を宙に浮かせて釣りをしていた太公望を、周の軍師として迎え入れた…というような話があるんですね。原作の封神にもそのエピソードは載っています。
そのことについて、宮城谷さんは「王家の風日」の中でこう論じています。
『羌望(望のコト)を昌(姫昌)が召し抱えるのに障害があった』『亀卜をもちだして神霊の力をかりなければならなかったことは、羌望を羌族の代表として処遇するにはかれがあまりに若く、周一門の反撥を懸念して昌がひねりだした窮余の一策であったと想ったらどうであろう』(p352)
…真実は分かりませんが。そもそも彼は、本当に実在したのかどうかすら怪しいトコもありますし。
でも、おじいさんと考えるより、20代30代の青年と考える方がヴィジュアル的にも楽しくないですか?vv

それぞれについてはまた今度。

UPDATE→2001.9.24

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