玄奘西域記
 
1991年から1994年にかけて、「プチフラワー」で連載された作品。
その当時は全く知らなかったのですが、コミック文庫の形で再発行された際、どこぞの雑誌で紹介されているのを見て「これは是非とも欲しい!!」と一目惚れ。捜し歩いて約1年で1巻GET。
更に1年後の昨年10月に、やっっっと2巻を見つけましたのです。
久々に長い戦いであった…。書店で見つけたときの喜びはひとしおです。

「西遊記」というと、まずは孫悟空でしょう。で、猪八戒・沙悟浄(…今、悟浄だけ一発変換できなかった(哀))といった順でしょーか知名度。
取経の主役・玄奘三蔵法師は立場こそこの3人の師匠ですけど、何だか弱々しいし、すぐ妖怪どもに攫われるし…とキャラクターとしては弟子たちよりイマイチ目立てないポジションにおります。
しかし、この「玄奘西域記」の玄奘は、そのイメージを全てふっとばしてます。喧嘩は強いし、語学には長けているけど「一人前の僧」でもない。見かけからして全然違う。
更に、さっき挙げた弟子一行は全く登場しません(沙悟浄の原形が出ていると言えば、言えなくもないが)。
あ、「それじゃ『西遊記』じゃないー!!」とか言わない。タイトルよく見て。西「域」記。
このタイトルの由来は「大唐西域記」。史実の玄奘法師が執筆した取経の旅の旅行記です。…つまりこの「玄奘西域記」、西遊記の影響を受けながらもベースに史実を置き、作者の奇抜な創作が絡められたもの…ということになるんでしょうか。

先ほど見かけのことをちょろっと言ったので、その辺から入りますか。
玄奘、唐・長安を出立時15歳、帰国時24,5歳。すらっとした身体に肩まで伸びた長い髪…髪。年齢が若いとかよりソレに驚くはず。僧侶ったら、まず頭剃ってる印象だからなー。
でも、意味あって髪を伸ばしたままなんです。天竺・ナーランダー大学へ到着し、経典の勉強を始めてからも「頭は剃るな」と学長命令が下ってたりするのも、決してマンガ的ヴィジュアルの問題ではなくて(結果として大きく影響してるけど)、ましてや学長の趣味でもなくて(笑)、玄奘が無事取経を成し遂げるため、そして本人の自戒のため、なんですね。
なんにせよ、そういう髪型が似合ってしまっている玄奘、なかなかの美少年…いや美青年?? どーもどっちも言葉のイメージが違うな。「美人さん」って感じかなぁ。
で、その風貌と裏腹な武術の腕前。それじゃ体力バカかと思えば、数ヶ国語を操り経典を丸暗記してしまう頭のキレもある(それでも頭悪いってさんざん言われてる…ま、これも意味あってのこと)。意外性の男です。
ところで、さっきから彼のことを一度も「三蔵」と呼んでいないのは、その通りだから。
三蔵=経蔵・律蔵・論蔵の三つに精通した僧。なんて仰々しいものじゃなく、それどころか1巻では、高僧である兄・長捷(ちょうしょう)の護衛 兼 摩咄(まとつ/通訳)として付き従う同行者なんです。
「三蔵」としての取経の旅では決してない。それよりもむしろ精神的に「三蔵」へと成長していく旅の物語なのだろうと思っています。

天竺までの長い道のりの間に、兄弟2人の旅には更に2名の同行者が加わります。
そのうちの一人、突厥の王子ハザクが、この作品もう一人の主人公と言えなくもない。
ハザクは突厥の可汗(はーん/王)と天竺の歌姫の間に生まれた混血児。父譲りの彫りの深い顔立ちに、母譲りのクセのある漆黒の髪。玄奘とはまるっきりタイプ違いの、でも相当な美人さんです(やっぱどーも「美少年」「美青年」が当てはまらない)。更に、音楽の才能にも恵まれてたりする。
なのに、かなーり口が悪い。特に同年代の玄奘に対しては本当に容赦なし。ズバズバ言います。
そんなだから、最初の頃こそ喧嘩にしかなってなかった2人だけど、それは次第に、互いを思い他を思うことに基づく意見のぶつけ合い(単なる喧嘩じゃナイってこと)へと変化していきます。つまり感情表現がストレート…特に玄奘が…なもんだから、ともすると読んでるこちらまで照れてしまうよーなことを勢いで(でも本心から)言っちゃってたりもするけど。
まっすぐぶつかりあい、互いに刺激しあい、共に成長していける友人…親友。人との衝突を避けがちな人間にとっては、ちょっと憧れてしまう所もあったりして。

「玄奘の取経の旅」なだけあって、その当時の中国〜天竺の社会・風土・様々な宗教の考え方や盛衰もストーリーに大きく関わっています。勉強にもなるし、自分自身で「宗教とはいったい何なのだろう」と考えるきっかけにもなりました。
玄奘は言わずと知れた仏教僧。ハザクの出身・突厥は拝火教(=ゾロアスター教)の信仰国。天竺は婆羅門勢力が高まり、新興勢力・イスラム教の圧迫を受け、「西遊記」での「仏教の聖地・天竺」のイメージとは大きくかけ離れた姿となりつつある。
玄奘が主人公の形で物語が進行していく以上、どうしても仏教について肯定的な視点になってしまうのですが、それが無理矢理じゃなく自然と染み入るように伝わってくるのは、玄奘の人柄なんでしょうかね?
サリン事件やニューヨークでのテロ、イラク戦争などが現実に起こってしまうような今の時代、「宗教」というと何か怪しいもの・恐ろしいものとして見てしまうこともあると思いますが、本当はもっともっと身近なものであり、誰もが持っているであろう「何かを、誰かを、自分自身を信じる心」の集合体で、それは個々の宗教の枠を超えた万民共通のものなのではないだろうか…と。
この作品を読んで、菱はそんなことを思いました。エラそうになってしまいましたが。
人それぞれ、感じ方は違うはずですが、何か感じずにはいられないと思います。

この作品については、今後、1話ごとの感想をつけていきます。
全20話(隔月掲載だったのか隔月発行の雑誌だったのか?)、玄奘・ハザクの友情と成長の旅を追っていきたいと思います。

 UP DATE→2003.1.3

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