☆第1次西岐征討軍+九竜島の四聖+α(第36回〜第39回 [p85〜132])☆

同一日と考えられる項目色を揃えています。
分からない項目はとりあえず白で。同一日とは限りません。

月・日

時間

出来事

  0日と仮定  

第1次西岐征討軍
[総兵:青竜関総兵 張桂芳/兵10万](青竜関総兵の代任には丘引)
西岐城南門に野営を展開

  1日

(戦)第1陣
●姫叔乾 VS 風林○

風林が宝貝:紅珠で姫叔乾の肩を打撃。落馬したところに狼牙棍をくらい絶命

  2日

(戦)全体戦
・張桂芳の「叫名落馬」で黄飛虎が落馬し、捕らえられかけたところを周紀が救うが、周紀自身同じ手で落馬し、捕らえられる
・風林の紅珠を胸にくらって落馬し縛られた南宮カツを武吉が救うが、共には逃げ切れず、南宮カツのみ結局捕らえられる

西岐軍捕虜=周紀・南宮カツ

  3日 姜子牙、免戦牌をかける
      ナタク下山
     

(戦)○ナタク VS 張桂芳・風林●

「叫名落馬」が効かず、張桂芳・風林ともナタクの乾坤圏・金磚で肩を撃ち砕かれる

    姜子牙、崑崙に上る。元始天尊より封神榜を授かり封神台の建造を命じられる
      姜子牙、東海で柏鑑を救い、封神台の監造官に任ずる
    二更(夜10時)

(戦)夜襲
・張桂芳遁走。風林は応戦するが、ナタクの金磚で紅珠を砕かれ逃げ出す
・捕虜(周紀・南宮カツ)救出
・征討軍10万→2万、岐山まで退却

  
     

聞仲、九竜島の四聖(王魔・楊森・高友乾・李興覇)に援軍依頼

  0日と仮定   九竜島の四聖、西岐征討軍に加勢。軍は再び西岐城下に現れ、東門に野営展開
  1日 四聖が姜子牙らに和解条件提示。3日以内の回答を約する
      姜子牙、崑崙に再び上る。元始天尊より霊獣:四不象と宝貝:打神鞭・杏黄旗を授かる
      姜子牙、岐山で竜鬚虎を弟子にする。封神台完成
  4日  

(戦)西岐→姜子牙・黄飛虎・ナタク・武吉・竜鬚虎
朝歌→四聖・張桂芳・風林

・四聖の宝貝(開天珠・劈地珠・混元珠・拌黄珠)で姜子牙以外退却
・四不象で逃げ出した姜子牙を王魔が追うが、文殊広法天尊に止められる。しかし猶も姜子牙を殺そうとしたため、文殊広法天尊の宝貝:遁竜椿[正確には日→臼]で箍められ、弟子・金タクの宝剣で斬られる

封神=王魔

      金タク(五竜山 雲霓洞 文殊広法天尊 門下/ナタクの兄[長兄])、西岐軍に加わる
  5日  

(戦)西岐→姜子牙・金タク・ナタク・武吉・竜鬚虎
朝歌→四聖(-王魔)・張桂芳・風林

・高友乾…姜子牙の打神鞭で頭を打たれ、封神
・楊森…金タクの遁竜椿で箍められ、宝剣で斬られる
・風林…武吉に馬の足を払われ、落馬したところを棍棒で一撃され封神
張桂芳・李興覇は退却

封神=高友乾・楊森・風林

    張桂芳、朝歌へ戦況報告
  6日

(戦)○黄天祥 VS 張桂芳●

黄天祥初陣。
子供ゆえ名前が分からず、「叫名落馬」が使えずにいたが、そうこうするうちに槍で攻撃していた天祥に正面衝突をくらい、胸に短剣を突き刺される

封神=張桂芳

      西岐軍総攻撃、第1次西岐征討軍壊滅
     

戦場から遁走した李興覇は、丁度下山してきた木タクの宝貝:呉鉤剣で首を落とされる

封神=李興覇

      木タク(九宮山 白鶴洞 普賢真人 門下/ナタクの兄[次兄])、西岐軍に加わる
 
        

張桂芳の報告を読んだ聞仲が援軍を差し向ける
[総兵:元 陳塘関総兵 魯雄/兵5万]
(軍政司:諫大夫 費仲・尤渾)

  

秋7月
灼熱の日々

   援軍、岐山にさしかかった所で第1次西岐征討軍全滅の報に接し、軍を岐山に留める
   0日と仮定   

姜子牙、南宮カツ・武吉を岐山へ派遣(兵5千)

   1日 姜子牙より、兵の山頂への移動&祭壇造営命令
      夕暮れ 祭壇完成
      日暮れ後

姜子牙、「山を凍らす術」開始 (1)寒風を起こす

   2日 夜明け (2)雪を降らせる
         (3)雪を解かす (4)再び寒風
(3)の前に兵全てを下山させる
   3日 夜明け

岐山凍結。魯雄・費仲・尤渾と朝歌軍5千が凍死
残兵は水関へ逃亡。
水関総兵・韓栄が朝歌へ戦況報告

封神=魯雄・費仲・尤渾

※1:征討軍が一旦退いてから、四聖を援軍に加えて再度攻めてくるまでに相当の時間が流れている(戦況報告が西岐から朝歌まで届けられる必要があり、この期間を使って封神台が完成していることもある)ので、2部構成にしてみました。

※2:年記述が一切ないですが、武成王造反時に7歳だった黄天祥が、張桂芳戦の時に「西岐征討軍の総兵が、八つの子供に討ち取られたとあらば…(BY武吉/第39回・p123)」となっているし、※1のこともあるので、おそらくこの時点で紂王22年ではないかと考えられます。が、満年齢なのか数え年なのか不明なので(多分数え年だと思うが…)年表へは書いていません。

※3:魯雄の援軍を第二次征討軍としたものか悩んだのですが…。一応「総兵」の任を受け、兵を従えて向かっていますから。しかし一戦も交えていない上、あまりに決着が早すぎます。独立した1ページにするのはかえって可哀そうかと思い、第一次征討軍の後日談的にしてみました(かなりこちらの都合)。

UPDATE 2003/5/17

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