封神演義〜殷周易姓革命年表(安能版)

封神演義、実は紂王の即位から殷王朝の滅亡まで、約30年以上にわたる物語なんですよね。
西岐vs朝歌の形になってからはともかく、安能版上巻の領域は非っ常ーに込み入っております。
さーっと読んでいく分には何ら問題はないですが、頭の中で全体を構築していこうとすると、何がいつ起きてこうなってんのやら訳がわからなくなってしまうこともしばしば。
ついでに、地理関係もよく分からなくなります。関所の位置とか。

というわけで、まずは時間系列の筋―年表を作ろうと思います。
恐らく、安能版と光栄版とでズレが生じると思いますので、とりあえず個々に作成、あとで結び合わせようかなー、と計画中。
原文原作が読めれば、それが一番正確なんでしょうけど、そこまで手が回るかどうか。

第1段階…… 安能版で、年・月・季節が明確に記述されている文章のみを基に作成。(こちらのみの状態が見たい方はここから)
第2段階…… 「〜という出来事から何年(月)前・後」を組み込んでみました。時間の最小単位は一月です。その他、重要な出来事を追加。
第3段階…… このまま下巻までやると、ファイルサイズが大変なことになりつつあるので、第2段階は中巻で中断。
長丁場なエピソードごとにリンクを貼り、細部事項(かなり増量してます)は個々のページに移動。時間最小単位は一日(推測含む)。
個人戦の勝敗とかも付けてみました。多人数での混戦は結果のみ。

現在進行状況→上巻=第2段階終了/中巻=第3段階途中/下巻=第1段階終了

参考文献:「封神演義」(上・中・下)[安能務 訳 講談社文庫] その他、コメントでは中国語版「封神」をデータ照合に使用。

《上巻》

月・日 季節その他 出来事
帝乙25年   初夏 殷王朝第30代王・帝乙の第3子受王、王位継承権を得る
紂王元年
(帝乙30年)
    帝乙崩御
受王即位。紂王と称する
紂王7年 2月 北海七十ニ諸侯叛乱。太師聞仲が北征に向かう
  3月14日   宰相商容が女カ(女+咼)宮参詣を奏上
  3月15日   紂王、女カ宮参詣。壁に女カの美貌を讃える詩を書きつける
女カ、紂王の詩に激怒。3匹の妖ゲツ(薛+子)[千年の女狐・九首の雉・石琵琶]に紂王を惑わすよう密命を下す
紂王8年? 4月
(元旦間近)
八百諸侯(−北海七十ニ諸侯)が、朝歌に参集
紂王8年 元旦   紂王、冀州侯蘇護に娘(妲己)の後宮入りを要求するが、拒絶される
冀州侯、叛乱を起こす。北伯侯崇候虎、西伯侯姫昌に征討命令が下る
      紂王、妲己を後宮に納める(◇)
◇→3ヶ月後     雲中子の宝剣事件
↓一月後
梅伯、炮烙で焼き殺される
      紂王暗殺未遂事件。姜皇后死亡、殷郊殷洪皇太子は風に攫われる(◆)
(★)     姫昌、朝歌へ向かう途中に燕山で雷震子を拾い、第百子として認知する
姫昌、ユウ(羊+夂)に幽閉される
↓一月後
東伯侯・南伯侯が朝歌に叛き、遊魂関・三山関を攻める
陳塘関にてナタク誕生
★→4年後[注]     ナタク、竜王と諍いを起こし、血肉を父母に還す(自殺)
★→7年後     姜子牙、崑崙山から下山。敵情視察に朝歌へ向かう
↓一月後
妲己の提案により、姜子牙、司天監に任ぜられる
↓一月後
鹿台の設計図完成(☆)
★→7年後     伯邑考、朝歌に贖罪に赴く
★→7年後     雷震子、姫昌の危機を救いに崑崙山から下山する
☆→半年     楊任、鹿台建設の延期を訴え、両眼を抉られる
☆→1年8ヶ月後     北伯侯崇候虎の監造により鹿台完成
      鹿台で神仙の宴が催される(○)
    初雪の日 軒轅廟の狐の毛皮を剥いで作った袍襖が完成。宰相比干が紂王に献ずる
紂王19年
○→3ヶ月後
  仲冬 玲瓏心事件。宰相比干、心臓を抉られる
姜子牙、馬氏と離縁。朝歌を離れる
聞仲、北海から凱旋
(●)     武吉、西岐城で殺人を犯す
姫昌、霊台で飛熊の夢を見る
●→約1年   春日和 姫昌、姜子牙を西岐の丞相として迎える
紂王20年   仲秋 姫昌他界
次男姫発が跡を継ぎ「武王」と名乗る。姫昌を「文王」と諡する

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《中巻》

月・日 季節 出来事
紂王21年 元旦   武成王造反事件
      晁田晁雷兄弟(兵3万)、西岐の動向探索
     

第1次西岐征討軍(総兵:青竜関総兵 張桂芳/兵10万)

西岐サイド援軍…ナタク・金タク・木タク
朝歌サイド援軍…九竜島の四聖

  7月 秋(灼熱の炎天下) 第1次西岐征討軍の援軍(総兵:魯雄/兵5万)
     

第2次西岐征討軍(総兵:佳夢関総兵 魔家四将/兵10万)

西岐サイド援軍…楊ゼン・黄天化

      第3次西岐征討軍(総兵:成湯太師 聞仲/兵30万)

西岐サイド援軍…雷震子・崑崙十二大仙
朝歌サイド援軍…金鰲島の一聖九君
           趙公明
           三仙島の三仙姑・カン芝仙・彩雲仙子
(かなり長いので、朝歌サイドの援軍ごとにブックマークをつけました)

     

第4次西岐征討軍(総兵:三山関総兵 ケ九公/兵10万) UP!!

朝歌サイド援軍…土行孫(→西岐に帰順)

      第5次西岐征討軍(総兵:冀州侯蘇護/兵10万)
      呂岳、西岐攻撃に参加
      韋護下山
◆→20年後     殷洪下山・西岐攻撃に参加
      馬元、西岐攻撃に参加
      第6次西岐征討軍(総兵:三山関総兵 張山/兵10万)
      羽翼仙、西岐攻撃に参加

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《下巻》

月・日 季節その他 出来事
紂王30年 3月3日   竜吉公主・洪錦、祝言を挙げる
  3月15日   拝将の儀式。武王が姜子牙を将に拝す
  3月18日   東征軍編成発表
紂王30年
(西周13年)
3月24日   東征軍、西岐城を発つ
 
紂王37年 3月8日   東路二百諸侯、孟津に到着
  3月9日
(戊午之辰)
  八百諸侯、孟津で大会盟を果たす

[注]
・当時、ナタク7歳。
姜子牙下山時、既にナタクが「数年前から太乙真人に武芸を仕込まれている」ことを考えると、恐らく殷氏の胎内にいた3年6ヶ月も年齢に上乗せされているのだろう(つまり生まれた時が3歳)…と思っての年代設定。

【コメント(02.6.4/第1段階完成時)】
…こんなん、年表じゃない…。
全100話にもわたるのに、コレだけしか明示されていないんだ。
「〜という出来事から何年(月・日)」みたいなパターンの記述はかなりあるんですが、全体の整合性を掴まないと、このデータは使えないんですよね。
あと、『正月』『元旦』の定義がどうなっているのやら。
季節とかから察するに、恐らく月日の表現は太陰暦(旧暦)なんだろうけど(1〜3月が春・4〜6月が夏…という形)、上巻の記述だと「元旦=4〜5月のどこかの日」のよう。
じゃあ、「年の切り替え」は1月1日なのかその日なのか??
殷周時代の暦法について書かれた本を見てみると、殷代の年始が西暦の何月に当たる、という説は様々あるらしく、決定的な説はまだないようです、が。
少なくとも年始を1月と呼称するもんじゃないんですかね、普通。何なんだろか、封神のコレは。
それとも元旦=年初めではない、なんて、そんなことはないよなあ…?

【コメント(02.6.23/第2段階・上巻分増強時)】
これ書くために、じーっくり読み込んでて気付いたんですが、この本そもそも年表が存在するんだろーか??
「あれぇ?」と思った箇所も多々ありましたが、その中でも明らかに間違いと分かる記述を一つ紹介。上巻第22回・p359の楊任の台詞。
「すでに4年も前に東伯侯南伯侯が謀叛を起こし〜」
鹿台建設途中ってコトは姜子牙が既に下山していることは確実(一度、鹿台の監造官に推されてる)。となると四大諸侯が朝歌に呼び寄せられたのは7年前になるんですよ。で、その一月後に謀叛。って記述もちゃんとある。
完全におかしいやろ、コレ。
あと考えられるのは楊任さんの言い間違い。でも上大夫で文官の楊任さんがそんなコトを間違えるとは思えない(贔屓気味)ので、これは作者のミスだと思う…。
どのデータを信用していいんだか、もはや分からないです…あああ、どうしよう。
やはり光栄版・原文との照合は必須かも。

【コメント(02.9.1/第2段階・中巻分増強時)】
何かもう、挫折しそう…データの辻褄が合わないし、中巻はそもそも時間記述が極端に少ないし…ああ、もう。
光栄版はきっともっとちゃんとしてるんだろうなあ。
ところで、数年前にハタと気付いたんだけど、この中巻の最初、武成王夫人賈氏の話のときに、賈氏と妲己の年齢が出てきてますよね?
(↓p12抜粋)
「お互いにまた一つ年を重ねましたね。夫人はおいくつに?」
「臣妾は虚しく歳をすごすこと四十九でございます」
「では、わたくしとは八つ上の姐々ですね…」
この後の展開のほうがストーリー上重要だから深く考えないでいたけど、計算してみると何か違和感。
この年、紂王21年。で、妲己が49-8=41。ということは、妲己が紂王の後宮に入った(と思われる)紂王8年当時は…41-(21-8)=28??
ちょっ…ちょーっと無理があるんじゃなくて? 当時の結婚適齢期なんか知らないけど、妲己ほどの美女が28まで独り身って。「娘」って年齢でもないし。
それに賈氏も。長男・天禄が14歳ってことは、賈氏が49-14=35で生んだ子になるけど。天祥に至っては49-7=42。
けっこう高齢出産の域に入るんじゃないか? 当時にしてはかなり。
で、菱は考えた。これはもしかして、原文原作では「四九」って綴ってあるんじゃ…確認確認…あ? え、ホントだ!!(参考:人民文学出版社版原文p266)
そしたらこれは「四十九」じゃない可能性大。中国文学では結構見られる表記形態…九九の「四×九」の意味、すなわち36なのでは?
これだとかなりいい感じの年齢設定になるよね。妲己は15歳で紂王の後宮に入り、賈氏の初産は22歳。
この考えが当たってるとしたら…菱でも分かる程度のミスを犯しているとなると…安能版の数字表記はほとんど信頼できないことになります。挫折しそうなのも納得いただけるかと。
でも始めてしまった事だし、下巻はまたそこそこ時間記述があるし(辻褄は合っていないが)、ちゃんと完成の方向には持っていきまーす。

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